23. 紙の辞書と電子辞書―
         一覧性と英語理解力



大学年生が中心の英語コミュニケーションの授業(受講者数25名)の1つで、期末試験問題として、次の問を他の問題に交ぜて作成した。「次の簡単な英文を日本語に直せ」というものだ。全ての辞書の使用を可とした。

1)   She has a lot of class.

2)   It wouldn’t harm you to help our wife with the housework and childraising.

1)の正解は「彼女にはとても気品がある」であり、2)の正解は「家事や子育てで奥さんの手伝いをしてあげたらどうなの」である。1)を正しく訳した受講生は25名中、何と、名(女子学生)のみであった。しかも、その受講生だけが“紙の辞書”を持参していた。残りの24名は全員が電子辞書であった。2)を正しく訳した受講生は25名中、わずか2であった。しかもこの場合の1名は上記の1)を正しく訳した受講生であり、もう名は電子辞書使用者であった。1)の場合の誤訳は多様であった。「彼女は多くの授業[クラス]を取っている」、「彼女は多くの授業[クラス]を受け持っている」、「彼女はたくさんの科目[クラス]を受け持っている」、「彼女は多くの授業[クラス]を受講している」等々であった。25名のうちの24名の諸君、すなわちほとんど全ての諸君(96%)は、基本中の基本である文法事項が理解できていないのだ。つまり、「授業」、「クラス」などと言った意味では可算名詞になり、したがって、classes になるということを全く理解していなかったのだこの厳しい現実を中学・高校の英語教師諸氏はどう受け止めるのだろう…。2)の場合、23名の諸君は「harm=害する、損なう」とだけ記憶していたようだ。したがって、その訳文も「家事や子育てで奥さんを手伝っても害はないでしょう」、「〜ても何も損なうことはないでしょう」、「〜ても危害はないでしょう」などとなっていた

 後日、1)の正解者だったAさんに、「classを“気品”と訳せたけど、その意味を知っていたの?」と訊いてみた。その学生は、辞書の定義をいちおうずっと見てから意味を取る癖をつけているので、頭からずっと見ていたら、[U]の記号のあるところの語義に『気品、エレガンス』という意味があったので、“これだ!”って思いました。そしたら同じ文例があったので、それで間違いないと思いました。と応えた。まことにもって、適切な語義探索だ。この場合、紙の辞書の“一覧性”に助けられて、語義の何番目かにある「[U]通例ほめて気品、エレガンス」などに目が行き、そこにある用例(たとえば、She has a lot of class.)を探し当てたということだ。 電子辞書を使用した受講生は問題文の“class”を見て、即「授業、クラス」と直結させてしまった結果の誤訳だろう。もちろん、電子辞書使用者でも、「class が複数形になっていないから、何か特別の意味かも知れない」と考えることのできた受講生なら、それをスクロールして行って、正しい語義に辿り着いた可能性がある。だが、「class が複数形になっていないから、何か特別の意味かも知れない」と考えることのできない受講生の場合、紙の辞書を使用している者なら、その“一覧性”に助けられて正解に辿り着ける可能性が、電子辞書使用者よりも高いのではないかと推測される。この仮説を証明するためには、何か別の実験を試みる必要があるだろう。

2)It wouldn’t harm you to help our wife with the housework and childraising.の場合、“It wouldn’t harm A to do…”が「…してもが困ることではない、…くらいしたらどうか」という、普通は皮肉で、あるいは腹立ちまぎれに用いる慣用句であることは、紙の辞書であれば、やはりその“一覧性”によって、比較的容易に知る事ができる。ちなみに、上記のAさんの弁では、「辞書をパッと見たら、下のほうにイディオムとしてIt wouldn't harm A to do…”が載っていたので、すぐにそれがイディオムだって分かりました。」と応えた。もちろん、電子辞書の諸君でも、少し気が利く諸君ならば、It wouldn’t harm A to do…の慣用句を検索によって探し出すことは可能だろうが、少なくとも私の上記の期末試験では、それが可能だった受講生は名しか“推測”できなかった。

 英語学習の初期から中期あたりでは、電子辞書よりも紙の辞書のほうが学習効果が上がることを私は、上記のような例を通して日常的に体験して来た。だが、現実はと言えば、「携帯に便利」、「検索が容易」、「多種多様な辞書・事典が搭載されている」等の理由から、ほとんど全ての学生諸君が電子辞書を所持している。しかし、その活用方法となると、現実は余りにも“お寒い”状況だ。とりわけ、「検索が便利」と答える学生たちのほとんどは、適切な検索方法を知らないし、知っていても十分には実行していない。個人差もあるだろうが、私の周辺の学生たちを観察する限り、紙の辞書も電子辞書も活用されているとは言い難い。その根底には、「辞書の適切な活用方法」を学んだことがない英語教師のもとで英語学習を初め、そのままという諸君が無数に横たわっているということだ。【平成25[2013]年1月20日執筆】